TEAM挑戦の成り立ち-理事長通信NO.6-

ぼく自身は、今から思えば多くのボランティア活動に

参加していた。

 

そもそも、今さら気づいたことだが、生まれつきボランティアをしていたようなものだったのだ。

両親は目に障がいを持ち、全盲という境遇であるから、

ぼくの肩に親の手をおいて、ぼくが目になるということからはじまっていた。

 

当たり前のように、目の前に困った人がいたら、肩肘はらずに

手を伸ばしていた。

 

夢をおいかけるという両親のもと、両親もぼくも生きるのに必死。

ぼく自身は、生きるのに必死ではあるが、全てにおいて手をぬく

ことを許されない社会に放り込まれる。

 

学業もスポーツも国立の学校での激しい競争。ほっと息をつく暇もない。

切磋琢磨を重ねて、上位に食い込みながら、家族へのボランティア活動は待った無しの

状態だ。

 

保育園の頃から、生ぬるい連中や、ゆるい

大人に牙をむき、どうしようもない

境遇の連中のたてになろうと、必死になっていた。

 

今もなおその血は残っているし、かっと頭に血が上る時はいつもそうだ。

 

自らに常に高いバーを掲げ、プロであり続ける挑戦をして、さらに、切り詰めた

時間の中で、ボランティアというか、切磋琢磨している連中のたてになりたいと思う。

 

反対に生ぬるく生き、ずるがしこく、能力を制限して、適当に生きる連中を見ると

むなくそが悪くなり、牙を向けた拳に力がはいってしまう。

 

日本一という富士登山には日本人としての思いいれががあり、それを、たまたま全盲の子と登ったことにより、

チームビルディングとダイバシティーの精神の深さを学ぶ場として、

起業家に必要な、創造性や発想までつながる、社会変革の発信としては、面白いと思い、10年ほど

続けていた。

 

その中での、東日本大震災。

 

東京で、激震にゆれ、友人の医師が南三陸町に救急車をかっとばし、翌日に入った話しを聞き、

いてもたってもいられなかった自分がいた。

 

ガソリンがなく、食料がなく、高速道路もないが、何か現地にできることは?

から考え、行動しはじめ、翌週には現地入りすることができた。

 

彼のかっとばした救急車が泥まみれな姿をみて、

またボランティアセンターで泥臭く動いている姿をみて

また現地の悲惨な状況を目の前にし、呆然となり、でも、今までのぼくの

奥尻島、阪神淡路、海外も含めた多くのボランティア

経験をふんだんにいかし、何ができるのか?

何をすればいいのか?

を考え続けた。

 

そして、そこから、富士登山の仲間や、経営者仲間、で、議論し、活動を続けた。

 

まずは、瓦礫処理、

何度も何度も出かけた。

 

清掃、泥掃除、家具整理、、、、、、、

 

ボラセンでもチーム挑戦の存在も少しづつ

浸透していった。

 

流された、施設に車椅子をもっていったり、

全盲のマッサージ師の人がおばあちゃんにマッサージしたり、

絵本作家をつれていき、読み聞かせをやったり、

 

地元物産を有楽町駅前で2週間売り続け、その売り上げを全て

南三陸町の商店主に届けに行ったり、、、

 

仕事との両立、

それができたからこそ、次の仕事ができる余裕をつく能力がついたり、

 

こういうことを広めていければということで、

チーム挑戦ができました。

 

この団体は、単なるボランティア団体ではないと宣言しています。

社会を変える。

その結果、自己修錬につながり、

自己成長につながると思っています。

 

言うだけでなく、本気でやる。そうあり続けたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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